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2023年10月14日
山内牧師の親分はヤクザ
吉田芳幸は最も危険な暴力団の組長であった。
入れ墨ヤクザ群団の中央で腕組みしているのが
吉田芳幸である。
沖縄ベタニアチャーチ 山内昌良自称牧師は吉田の子分
(沖縄ベタニアチャーチ山内の親分、吉田芳幸について)
吉田は1944年(昭和19年)に大阪布施市に生まれる。
松田組系村田組・大日本正義団の初代会長の弟として
吉田芳幸は裏社会で生きる。
日本の覚せい剤の9割を売買していたとされる。
23歳にして豪邸を建てる。
1975年(昭和50年)に大阪日本橋で、大日本正義団の
初代会長の実兄、吉田芳弘(当時36歳)が、山口組系
組員2人組に射殺される。
急遽、兄の後を継いで、吉田は二代目会長になる。
吉田は山口組三代目組長 田岡一雄への復讐を計画。
3年間、田岡行きつけの京都のクラブ「ベラミ」に手下を
送り込み偵察させベラミの近くにマンションを借り
田岡組長殺害計画を企てる。
1978年(昭和53年)7月11日、吉田が35歳の時、
ヒットマン鳴海清が田岡組長を狙い銃弾を発砲
するも田岡は一命を取り留める。
吉田芳幸と鳴海清は山口組の復讐から逃がれ潜伏。
その後、鳴海清は六甲山中で惨殺死体で発見される。
吉田芳幸は、その3か月後の10月、神戸で逮捕される。
1979年7月5日、懲役5年の実刑判決が言い渡され、
札幌刑務所で5年間独房に収監される。
Posted by 上江洌 at 22:30